by waruwagon プロフィール
Taku 29歳 独身 ドS
僕はきっと、世界一幸せななニートだと思います。 2006年10月より550日間世界一周旅行中。アジアもヨーロッパも中東もアフリカも南米も南極も中米もカリブ海もとっても思い出深いです。 ちょっと「わるのり」で地球2周目の冒険へと出発しましたが、遂に日本に帰国することに致しました。 まもなくわるのり最終回。 いままで、応援ありがとうございました! **************** 現在お嫁さんを募集中! ・日本語が話せる健康な方を募集しています ・未経験者優遇 ・経験者歓迎 ・楽しい職場です ・日本食が作れると素敵 (仕事の性質上、今回は女性のみの募集となります) **************** ※定員に達しましたので募集を終了します。欠員が発生した場合、再度募集を開始いたします。 お嫁さん応募、他応援メッセージなどメールいただけると飛んで喜びます。 warunori@gmail.com **************** カテゴリ
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僕はいま、ペルーにいます。 "いまだに"という表現が正しいかもしれません。もうペルーに入国して2ヶ月になろうとしています。でも決してダラダラと過ごした2ヶ月間ではなく、とても充実した、まるで幸せの貯金箱を貯め続けるような日々だったのです。 今日はやや長文になるかも知れませんが、ペルーでの生活に関して伝えたいと思います。 ペルーで最初に訪れた場所はチチカカ湖でした。 ペルーとボリビアの国境線ともなっているこの湖は、標高3890m、富士山よりも随分高い場所に琵琶湖の12倍もある湖が堂々と横たわっているのですから壮観です。ボリビア側にはその昔、インカ帝国の初代皇帝マンコ・カパックが降り立った太陽の島、ペルー側には葦を集めた浮島に住む人々がいるウロス島などの見所があります。国境を越えることもあり、人数が多い方がなにかと有利ということでラパスで集まった仲間5人で訪れました。 しかしこの初代皇帝マンコ・カパック…、いや、何も言うまい。 ボリビア側の太陽の島は静かで快適、気候も良く過ごしやすい場所でした。村人ものんびりしていて気持ちの良い時間を過ごせました。しかし対岸ペルー側の浮島のウロス島はちょっと過剰に観光産業が発達していてがっかりでした。僕らは別に浮島に住む人達に日本語で「サークーラ♪サークーラ♪」と歌って欲しくてウロス島を訪れるわけではないのです。タグが付いたメイド・イン・チャイナのお土産が買いたいわけでもないのです。文化を守りつつ観光客を受け入れると言うのは並大抵のことではないのでしょうが、ツーリストが何を見に来たいのか、それを見つめ直す必要がこの島にはあるのかもしれません。 そして次に訪れたのがマチュピチュ。 マチュピチュは有名だからさすがに知らない人はいないでしょう。"空中都市"とか"天空の城"など様々な言われようがしていますが、南米旅行、いや世界一周旅行のハイライトと言ってもいいでしょう。僕もこの遺跡には思い入れがあってスーパーひとしくんの「クイズ・不思議発見!」や相川欽也の「なるほど・ザ・ワールド」で特集される度に食い入るような眼差しで見ていたことを思い出します。そういえば、ずっと行きたいなぁと思っていました。 あっ、いまここでひとつ思い出したのですが(話は脱線します)、4~5年前の正月に実家に帰り両親に「マチュピチュに行きたいんだよ」という話をしていたら、「そんなにいい場所なの?」と言われ翌月には僕の両親は僕をおいてマチュピチュに遊びに行ってたことがありました。その年に僕があげたお年玉もその資金に使われたようでした。息子としては納得できない部分もありますが、そういえば「ネパールに行きたい」と言ったときも「ケニアに行きたい」と言った時も、先に両親に行かれた覚えがあります。僕の自分勝手な性格は絶対に"遺伝"だと思っています。 話は戻ってマチュピチュです。観光立国ペルーの最大の見所"マチュピチュ"なのですから当然そこに向かうルートも完全に整備されています。というか整備されすぎというのが正直な所で、観光客はみな、ペルー鉄道が運行する列車に乗って行かねばならないと決まっています。そしてその列車、異常に高いのです。天井までガラス張りでショーまでやってくれる電車なのですが、たった4~5時間の距離で片道100ドル近くするのです。一応少し安いクラスの電車も走っているのですが、それでも片道50ドル以上するのです。しかもそのクラスが「バックパッカークラス」という名称で、僕にはなんか馬鹿にされているような感覚さえ受けてしまいます。『バックパッカー=金がない』と言われている様で、僕は嫌でした。バックパッカーにも色々いて、それぞれのスタイルを持って旅をしているというのに…一様に金がないのがバックパッカーではないのに。 とにかくバックパッカークラスさえ僕らには納得がいかないということで、線路を歩いてマチュピチュに向おうということになりました。公式にはマチュピチュ村に向かう道は存在しないのですが、バスとタクシーを乗り継ぎ、線路を10km以上歩けば、マチュピチュ村に辿り着けるという情報があったからです。この道は決して楽ではないのですが費用も15ドル前後で行けるし、なんかみんなで線路を歩くなんて映画"スタンド・バイ・ミー"のようで楽しそう。実際には決して楽な道ではなく雨にも降られ大変でしたが。 そんな必死の思いで到着したマチュピチュはさすがに見事な姿を僕に見せてくれました。"空中都市"の名に恥じない素晴らしい景色でした。でも初めてアンコールワットを見たときのような、そして南極で感じた自然と涙がこぼれてくるような感動とは、やはり違うものでした。 マチュピチュからクスコというインカ帝国の首都だった街に戻り、少し骨休めをしていました。この街は世界的観光地マチュピチュの観光の起点となる街ですから、非常にツーリスティックな街です。インカ時代の石組みなどもたくさあり、クスコと言う街が博物館かのように思えます。この頃はちょうどお祭りシーズンだったこともあり、週末毎にお祭りも開催されてとっても楽しい毎日でした。 また世界中からあらゆる観光客が集まるが故に、世界中の様々な料理が食べられます。特にペルーは元々食事レベルが高い国ですから、ペルー風にアレンジされた各国料理もかなりレベルが高いものでした。僕は旅行者の中ではかなり食事にはうるさい方ですが、クスコという街は僕にとって食では世界で3本の指に入る街だといって良かったと思います。 たった200円で食べられる美味いピザ屋、何を食っても抜群に美味かったJack's Cafe、ティラミスやチーズケーキなどもかなり本格的なものが食べられ、毎日幸せな気持ちで過ごすことが出来ました。やっぱり食は大事ですよね。日本に帰ったらやっぱり、でっかいキッチンがある家に住もうと思います。 次に向ったのがワカチナという砂漠とオアシスの町。 本当にペルーには様々な自然環境が揃っているのです。ジャングルから砂漠から大山脈まで。このオアシスの町では一緒にチチカカ湖やマチュピチュで遊んだ連中が待っていてくれて、砂丘に駆け上って夕日を観たり、サンドバギーで走り回ったり、サンドボードで転げ落ちたりと砂まみれのリゾートライフを楽しみました。うん、ほんと楽しかったですよ。 そしてこれまた有名なナスカノ地上絵。 南米を旅する男達には"思ったりショボイ"と言われたり評判はイマイチな地上絵ですが、せっかくペルーまで来たのですから記念に見ておこうとフライトを申し込みました。4人乗りセスナ機の助手席に乗り込んでの約40分のフライトは乗り物酔いに弱い人には地獄の40分なのではないかと思えるほどよく揺れました。僕は幸いにして"乗り物で吐く"ということがない強靭な肉体を持っているので大丈夫でした。ナスカノ地上絵は上空250mから見下ろすと随分小さく見えましたが、テレビで見たことのある地上絵がいくつも見ることが出来た経験は、なかなか感動的でした。 その後はリマに急いで移動し、日本に帰る仲間を見送り、シピボ族の住むジャングルへと向ったわけです。 シピボ族の話は次の機会にしましょう、今日は少し文章を書きすぎてしまいました。このシピボ族との生活は素晴らしい出会いと、優しさに満ち溢れた素敵なお話が出来ると思っています。 では、また。 お元気で。
by waruwagon
| 2008-06-24 12:08
| 47.ペルー
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